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台風が来てるっていうのに・・・
雨女白たい、とある場所にやってきた。

んんっ!?
これは線路じゃないかい??

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この線路・・・
どー見ても廃線だよね (* ̄∇ ̄*)ニヤリ

んんっ!?

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急いで近づく

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Oh~♪
客車が4輌

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何で牽引してたのか・・・

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ホンモノじゃないか!!

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ちょっとおじゃま~

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振り返ってパチリ

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どこから来て、この先がどうなっているのか、端から端まで歩いて探索してみたい


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2016.08.29 Mon l 廃線 トラックバック (0) l top
旧国鉄長野原線は、太子線(おおしせん)とも呼ばれていた。
日本鋼管鉱業株式会社の専用側線として、群馬鉄山で採れた鉄鉱石を太子駅から鉄道を使って出荷されていました。
群馬鉄山はこの場とは別の場所にあり、太子駅までは、索道(空中ケーブル)により鉄鉱石が運搬されていたそうです。どうせなら索道も見たかったな。

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現役時の太子駅(群馬県HPより引用させていただきました。)

近くにあった説明版

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来たーーーーーっ!

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駅票も残っています。

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線路止めが残っていることが、ここに間違いなく線路が敷かれていたことを物語っている。

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けっこう大きなホッパーで、下にもぐると迫力あります!

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ちょっと上に登ってみる。

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あ~ここに選鉱所が建ってたのね~ と思ったらじわじわと感動してしまった。

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鉱山も駅も現役だったころから残っているらしいトイレ

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よ~く見ると、なんとなくホームだった形跡が残っている。
ここは今整備中らしいです。
なんかのHPで見たんだけど、ここを観光の目玉として開発しているらしく、なんと太子駅を完全に復元し、ほんものの機関車を走らせる計画があるそう。しかもすでに機関車は準備してあるようです。
ん~気になる~

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近くには、関係あると思われる遺構

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こちらも通り道で見つけた鉱山関係らしい遺構
コーフンするわぁ

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どうやら、この付近には、廃線跡や隧道、鉄橋などが残っているらしい。
整備されてきれいになる前に、長野原駅から太子駅跡まで遺構を探しながら歩いてみたい。



2016.03.21 Mon l 廃線 トラックバック (0) l top
東武鉄道大谷線は、宇都宮石材軌道、東武大谷線、大谷石運搬専用軌道から成り立っていました。
当初、大谷で採石した大谷石を運搬するために敷設されたが、後に人車軌道としても活躍したそう。

1931年(昭和6年)  東武鉄道が鉄道線を大谷軽便線、軌道線を大谷軌道線として開業しました。
1964年(昭和39年) トラックによる輸送がメインとなり全廃止になりました。
西川田駅~立岩駅を走行していたらしい。

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終点 立石駅跡
画像左側に駅舎があったよう。今となっては、跡形もないけど、このまっすぐな道が線路だったことを物語ってくれる。

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2015.09.11 Fri l 廃線 トラックバック (0) l top
少し走ると、赤レンガの隧道が見えてきた。
やっぱり好きだなぁ~(* ̄∇ ̄*)

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単線だった線路が復線になり、それまで使っていた隧道に付け加えたのがよく分かる絵1
お分かりいただけるだろうか・・・ 隧道のつくりが全く異なり、平らだった道路も極端に坂道になっている。

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単線だった線路が復線になり、それまで使っていた隧道に付け加えたのがよく分かる絵2
隧道の天井を見ると、レンガの造りとコンクリートの作りが一目瞭然。

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大正9年製の橋台のモニュメントが複製してあった。

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ここは、平成10年に起きた大洪水で黒川が氾濫してここにかけてあった旧線時代からの橋台が決壊してしまったため、新しい橋が架けてあったが、歴史あるレンガの橋台は残してくれたらしい。(かなりミニチュアになっていた)

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黒川橋梁に向かって白河方面を望む。
ここにまっすぐとしたレールが敷かれていた。

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その下には、レンガの遺構が残っていた。

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下に降りてみます。

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とってもキレイなトンボが止まっていたので思わず1枚。
あとで教えていただいたんだけど「ニホンカワトンボ」 という名前だそう。
黒川には、この他にも綺麗なトンボやホタルが飛んでいるらしい。
これはぜひ見てみたい♪

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反対側になって分かりずらいがかの有名な?黒川橋梁
目の前で見ると、迫力ありました。

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白坂駅のホームから旧線跡を望む。

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おまけ

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今回は、前々から一度は訪れたいと思っていた旧東北線の廃線跡が見られ、色々な赤レンガ遺構も見ることが出来たて実に楽しい廃線探索が出来た。ありがとうございました。

ん~出来たら、さらのこの先にも行ってみたいなぁ~・・・。


2015.06.07 Sun l 廃線 トラックバック (0) l top
途中で見たレンガの隧道
向こう側の景色が写ってきれいだった

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そして、余笹川橋梁まで来ました。
こちらは、黒磯側の橋台
お分かりいただけるだろうか・・・?
赤レンガの橋台と、現在の新線(上り線)との間に空間があるのを。

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ここは、白河側の橋台

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いい眺めだわ~

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このレンガの隧道もたまりません。

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レンガに包まれると落ち着いた気分に浸れるのは、白たいだけだろうか・・・

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反対側から

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次の場所へ・・・
どんどん行きます。

2015.06.06 Sat l 廃線 トラックバック (0) l top
前回の旧那珂川の橋梁の跡
から、高久駅付近の熊久保地域までやってきました。
線路の左側に旧線があった。
画像ではわかりにくいけど、良い感じのカーブが旧線跡を物語っている。

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高久駅のホームに行くと、ちょうど上り列車(E721系?)が到着した
2両編成のオシャレな車輌だった

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高久駅の上りホームから旧線を望む
旧線は、高久駅を横切ったかたちで敷設されていたそう。

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その反対側。

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高久駅からほどなく北に進むと・・・EH500?が通り抜けていった。
上のガードレールのとこが、旧線時代の線路があった部分。
昔はこんな勾配を上っていたんだから大変だったよね

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現在の線路の位置との高低差がよくわかる

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次の場所へGO!
2015.06.03 Wed l 廃線 トラックバック (0) l top
旧東北本線の「黒磯-白河間廃線ツアー」に行ってきた。
黒磯駅からほどなく行くと・・・
那珂川を横切るように、現在の上り線と下り線、それに新幹線が通っている真下に 
まさに目の前に、レンガの橋脚が姿を現した。
ここは『那珂川橋梁』

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これは黒磯側なんだけど、見ようによっては新幹線の橋を支えているようにも見えてしまう。

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ちょっと近づく

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反対側に振り向くと
日差しが強くて暗く写ってしまったが、○で囲ったところに、白河方面のレンガの橋脚がある。

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そして川の真ん中にもレンガの橋脚跡が残っている

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○で囲ったところにもう一カ所橋脚跡が残っている。
しっかし! 当時は橋脚でがっしりとした柱が線路を支えていたはずなのに、こんなにデコボコに変形してしまうなんて。
水のチカラがどんなに凄まじいかわかります!

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側面から見ると・・・イギリス積みでした。

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さて次に行きます♪



2015.05.28 Thu l 廃線 トラックバック (0) l top
天気がいいので ちょっくら鉾田駅に探索に行ってきた。
旧鉾田駅は、旧鹿島鉄道の終点の駅だったとこだ。
鹿島鉄道の廃線跡は、以前に違う場所には行ったことがあるんだけど・・・

前回の鹿島鉄道訪問の記事「鹿島鉄道線 廃線歩き」はこちら

鹿島鉄道は1924年(大正13年)6月8日 に開通し、茨城県石岡市の石岡駅から鉾田駅までを結んだ全27.2キロメートルのローカル線で2007年4月1日 廃止となった。(全訪問時の記事より)

まだホームの跡が残っていた。

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左右のホームの間(当時は1番線と2番線かな)を歩いてみた。
お分かりいただけるだろうか・・・?
枕木がまだ残っている!!!

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落し物・・・

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ホームの端っこまで歩いてくると・・・
なんでこんなに極端に崩れているのか?と思ったら「東日本大震災」の影響で崩壊してしまったらしい。
震災の被害は東北地方だけでなくこんなところにまで響いていた。

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画像の右側に「鉾田駅の駅舎」があったようだ。

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現役時の鉾田駅(某サイトよりお借りいたしました)
左側手前の階段が上の画像のホームに上る階段になる。

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現役時の鉾田駅に停車中の『キハ431』(某サイトよりお借りいたしました)

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旧鉾田駅を出て、付近をちょっと徘徊しただけで、確かにここに鹿島鉄道が走っていた「軌跡」はごろごろ出てきた。
感動した。

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2013.12.29 Sun l 廃線 l コメント (6) トラックバック (0) l top
東武鉄道 矢板線は、1924年(大正13年)に下野電気鉄道として開業し、栃木県日光市(旧藤原町-ふじはらまち)の新高徳駅と矢板市の矢板駅間(全長23.5km)を結んでいた東武鉄道の鉄道路線であり、1959年(昭和34年)廃止になった。(Wikiより引用させていただきました。)

この路線にはいろいろな遺構が残っているようだが、今回は1192さんに同行してもらって「下見」ということで一番わかりやすい(と載っていた)芦場新田駅跡に行ってみた。
にいちゃんお世話になりました♪ 連れ回してすみません・・
『芦場新田駅跡』よしばしんでんえきです。あしばではありません!)
おぉっ!ここだ!ホームの跡だ ホントにわかりやすかった
ちょっと興奮ぎみ♪

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駅名標 だったんだろな
サルビアが植えてあった。

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反対側からパチリ!こちらから見た方がハッキリとホームだってわかる。
線路はどう配置されていたのか・・・??
見ていて疑問がわいてきても今回は超お鉄のにいちゃんがいてくれたのでスッキリと解決できた。

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どんな駅舎だったんだろ? どんな機関車が走っていたんだろ? どんな人が乗っていたんだろ・・・?
この場に立っているだけで 妄想が膨らむ・・・。

さぁ!次回は見付けなきゃ! 隧道!
2013.06.09 Sun l 廃線 l コメント (8) トラックバック (0) l top
東野鉄道は、1918年(大正7年)に西那須野 ~ 黒羽間で開業し、人々だけではなく農作物の輸送や、軍事物資の輸送にも利用されていたが、時代とともに、バスや自家用車の普及、また輸送手段がトラックやダンプカーへと移行し、黒羽 ~ 那須小川間は1939年(昭和14年)に廃止。続けて、西那須野 ~ 黒羽間も、1968年(昭和43年12月)に廃止となり51年間の歴史に幕を閉じた。

東野鉄道 現役時の機関車(大田原駅にて)「那須野が原鉄道100年の歴史」よりお借りしました。
カッコイイ~♪

東家


現在 東野鉄道の遺構はほとんど残っていない。。
でも、線路が通ってた場所(現在はただの道路)や貴重な跡を探しに行ってみた。
ここが線路だったなんて言われてもわからないね。

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ある民家の裏の道 
ただの藪藪~ こんな所にホントに鉄道が敷いてあったの???

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んんっ!? なんか見える!

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キタ━━━━(≧∇≦*)〃━━━━!!
大田原隧道(おおたわらずいどう)

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しかもレンガ造りじゃない~(* ̄▽ ̄*) タマラン
中に入れないのが残念だけど 
すご~い ホントにあったんだぁ~。 超感動

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そしてもう一か所!鉄道があった場所。
乃木神社に入る参道を横切るようにあるまっすぐな道。西那須野駅から続いていた。
この道は「ぽっぽ通り」 という名前が付いていた。これは鳩ポッポではなく、もちろん汽車ぽっぽからつけられている。
通りから入るとすぐのところに、SLをかたどった遊具?モニュメント?ベンチ?のようなものが見えた。

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なんかよくわかんないけど、馬車の車輪だそう。

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そして『乃木神社前駅』のホームの跡。
実際には、乃木神社前駅はこの場所ではなく、この写真の右奥の向かい側にあったようで、この場に移動され復元されたようです。

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でも雰囲気ありましたよ~♪

こんなひっそりとじゃなく もっと大々的に残してくれてらいいのに!って思いました。
2013.01.12 Sat l 廃線 l コメント (13) トラックバック (0) l top
この辺に昔の東北線が走っていた跡があるはず と路地を歩いていくと 生い茂った木のすき間からなんか見えた!!

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こっちかな?反対側の竹と雑木の藪の中をもくもくと歩いて・・・

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あった~!赤レンガの橋脚が見えてきた。

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反対側も・・・これはイギリス積みだね♪

んんっ!? よく見ると案内板があるじゃないか!! 
こんなとこまでわざわざ見に来る人いるのかしら・・^^;← 見に来てるだろ!

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ということで、案内板より抜粋・・・
栃木県北方面では、明治19年10月に宇都宮から西那須まで開通した。上河内村(現宇都宮市)路線は河内町古田から上河内村芦沼・下小倉からへ北上し現在の氏家大橋の地点を通過し、長久保へと敷設された。しかし、その間に停車場はなく最寄りの宇都宮・古田・長久保まで出向かなければ乗車できなかった。西鬼怒川橋は、明治19年、東鬼怒川橋は翌年20年に完成している。しかし、相次いで両鬼怒川の洪水により損害がたび重なりついに明治30年に岡本・片岡路線へ変更となり新設開通させ旧路線は廃止となった。
※ちなみに、明治18年宇都宮駅で、おにぎりとタクワンを竹の皮に包んだものが売られたことが駅弁の始まりだそうで、宇都宮駅は駅弁の発祥の地なのです!
この上をSLが横切ってたんだぁ。スゴ~イ

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通り道の会社に、当時走っていたSLの動輪が展示してあった。でかっ!

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これは旧長久保駅跡 残ってる線路はそんなに古くはない感じ。
なんと小学校の中にありました。

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よ~く 探すといろんなもの(遺構)が残っています。感動~♪
2013.01.07 Mon l 廃線 l コメント (8) トラックバック (0) l top
少し前 旧鹿島鉄道跡(廃線)を見てきた。
鹿島鉄道は1924年(大正13年)6月8日 に開通し、茨城県石岡市の石岡駅から鉾田駅までを結んだ全27.2キロメートルのローカル線で2007年4月1日 廃止となった。
線路は、各踏切付近を残して完全にはがされてしまっていた。
もう5年もたってるんだもんね。仕方ないか・・・。

 踏切跡

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すぐ近くの短い鉄橋跡

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反対側から

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線路をはがした時の枕木かなぁ

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ここにはどこまでも続く線路があった。
こういうのを見て、往時 たくさんの人を乗せて走っていた電車を勝手に思い浮かべいろいろなドラマを妄想してワクワクしまう自分は・・・やっぱ危ないヤツだよね~

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ホームの向こうに見えるのが桃浦駅(ももうらえき) 無人駅だったようだ。

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反対側のホームの端っこから

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いいですねぇ~ この雰囲気。
この駅をどんな人が利用していたのだろう。
現在は、廃線跡を部分的にアスファルト化して石岡駅からバスが通っているようだ。

鹿島はちょっと遠いけど いずれこの鹿島鉄道跡27.2キロの廃線跡を歩いて全制覇してみたい♪
2012.11.12 Mon l 廃線 l コメント (8) トラックバック (0) l top